水俣病の原因企業チッソの社長や会長を長く務めた後藤舜吉(ごとう・しゅんきち)さんが昨年8月に亡くなったことが18日、関係者への取材で分かった。87歳だった。2度目の社長在任時、水俣病犠牲者慰霊式後の発言が患者の反発を招き、その後辞任した。会社は「遺族の意向」として死去について公表していない。
水俣病が公式確認された翌年の1957年にチッソの前身の企業に入社。患者側が勝訴した73年の水俣病第1次訴訟の一審判決後に総務課長になると、患者への補償や政府による金融支援などの問題を最前線で担い続けた。93年から社長、2003年から会長を務め、被害者に一時金を支給することなどを決めた2度の「政治決着」に関わった。
営利事業を子会社に譲渡し、チッソ本社は補償や債務返済に特化する分社化が節目を迎えたとして11年に一度は退任したが、17年に社長に復帰した。18年の水俣病犠牲者慰霊式の後に「救済は終わっている」と発言したことが患者の反発を招き、謝罪し、撤回。同年末に「一身上の都合」を理由に辞任して経営の一線から退いた。